ゲームの妖怪ウォッチ4の情報がだんだん出てきましたね。
私はあまりゲームをやった事がないので、switchをあまり欲しいと思った事が無いのですが、これを機に買ってみようかと検討中です。
4ではケータ、ナツメ、シンの世界が繋がる展開になるようで、すごく楽しみです。
普通に時間軸だけの現在過去未来で考えると、様々な矛盾点が発生すると思いますが、そこはあえて「妖怪のせいなのね〜」とさらりと流して楽しむのが大事だと最近思います。
どうしてもアラフィフともなると、世の中の辛酸や裏表を知り尽くしてしまい自分の中の感性よりも経験や知識ばかりを信じていて、日常が味気なくなります。
しかし、一生の中で知ることが叶わず謎のままになっている事って多くありませんか?
今、矛盾を感じている事も違う視点や新たな事実で一気に解消する可能性は常にある。そう信じるかどうかは自分次第なのです。
前置きが長くなりましたが、つまりレベルファイブのアニメを楽しみたいなら多少の矛盾は目をつぶれと言う事です。
例えばコマさんタクシーって誰がどんな目的でどうやって運営しとるん?とか、イナイレで灰崎のシュートどっからペンギン出てきたん?とか考えだしたらキリがない。
シャドウサイドについて皆さんよく勘違いしているのが「登場している妖怪=前作の30年後の姿」だと思っている。
ジバニャンやウィスパーなどはその方程式で正しいのですが、コマさんは違います。
無印コマさんは神社の狛犬そのものの妖怪、シャドウコマさんは有星神社の狛犬の下敷きになって死んだ飼い犬の妖怪で発生元が違う別個体なのです。
他にジバニャンの細胞?から誕生したジーたんとか、最近だと失恋した悲しみで人間なのに生きたまま妖怪化した超吉など、様々なケースで発生していて、必ずしも「死ぬ=妖怪になる」という方程式ではないのです。
そうなってくると、人間の常識や時間軸に合わせて考えても意味が無いのです。
で、なぜ今回第17話なのかというと、コマさんが狛犬の妖怪という事でシャドウサイドのイナリが稲荷神社のコマ狐の妖怪だったなと思い出したからです。
また急に見たくなったので、あにてれで見たらめっちゃ泣けました。
妖怪の出てくるマンガって人間との交流に伴う独特の切なさが好きなんですよ。
つまり、人間は数十年で年老いて他界する儚い存在で妖怪は人間の時代をいくつも越えるほど長く存在し続ける。
イナリのお話はその宿命をよく描いている回です。
寂れた稲荷神社を幼い頃から手入れやお供えをしてきたおばあさんが伴侶を失い自分も年老いて豆腐屋を営めなくなったため、店を畳んで子供達と暮らすために引っ越す事になった。
それを阻止しようと躍起になって怪事件を引き起こしてしまったイナリだが、キュウビに諭され素直におばあさんとの別れを受け入れる。ところが、神社まで取り壊され居場所を失ったイナリ。しかしキュウビの計らいによって、その後はおばあさんと一緒に過ごせるというハッピーエンド。
心温まるお話だけど、やっぱり切ない。
きっとイナリの生きる時間に比べたら、おばあさんの余生で共に過ごせるのはほんの一瞬。
その切なさを噛み締められるアラフィフこそ、妖怪ウォッチをおすすめします。
追記
おばあさんを手伝うためにコックリさんで呼び出した人間の身体にイナリが憑依したが、みんな耐えきれず意識を失ってしまうと言っていた。一回見ただけじゃ見落としていた情報だ。単なるほのぼのした話だと思っても、結構今後の伏線となるヒントが隠されているから目が離せないね。
やっぱりトウマの能力は特別なんだ。あと妖怪を憑依させるという事はこの話からすると本人に負担がかかる事みたい。だから、最初からみだりに幻魔を出さないのか。納得。